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♈️アニメーター石田 祐康(ishida hiroyasu)監督の学生時代を振り返る

経験を積みながら、アニメ作家としての想像力を身につけていった学生時代

石田祐康監督(アニメーター)

「石田祐康」監督は、高校時代からアニメーションの自主制作をスタートさせました。そして、高校・大学時代には自作のアニメーションを発表し、様々な賞を受賞するなど輝かしい経歴をお持ちの「アニメ作家」です。

京都精華大学、研究生を経て、社会人アニメーターとしてのデビューを果たしていますが、そのクリエイティビティは一体どのように培われたのでしょうか。繊細な描写と美しい世界観が冴える「アニメーションの世界の表現力」に迫ります。

「アニメ作家デビュー」作品発表は高校生の時

ぼくは「絵を描くのが好きだから」という理由で美術系の高校へ入学しました。初めてアニメーション制作に携わったのは高校2年生の時です。自分で撮影した動画を使ってCMや映像制作をするというワークショップに参加した際、実写ではなく「アニメーション」でやりたいと考えたのがきっかけでした。
もちろん経験もないし、学んだこともありませんでした。しかし、絵や音楽と時間軸が合わさる独特の面白さにとても魅力を感じました。当時、友達から液晶ペンタブレットを借りて、Adobe PhotoshopとFLASHを習得しようと教本を片手に悪戦苦闘で取り組みました。
この時に初めて制作したのは、クラシック音楽の「愛の挨拶」に、スローテンポのアニメーションを合わせたものです。NHKの〝みんなのうた〟のような親しみのある作品を作りました。

ぼくはこの体験で、アニメーション制作に魅了され、もっと深く作品を作りたくなり、アニメーションを高校の卒業制作の課題にすると決めました。高校生活の総締めだからじっくり時間をかけて、納得のいくいいものを作りたいと決心しました。
また、高校3年生になる前までに、アニメーション科のある京都精華大学にほぼ進学先を絞り込みました。アニメ作りのため、受験勉強と制作に没頭できる環境を早くに整える準備ができた事で、アニメ作品を1年かけて制作に没頭することができました。そして、約17分間に及ぶ『空色の梦』(2006年制作)というアニメーション作品を完成させることができました。
YouTubeなどに発表直後から、心象風景を描いたこの作品は「高校生が作ったとはとても思えない、完成度の高さ、表現の緻密さ、」など高く評価していただきました。

石田祐康 メッセージ

大学の仲間との共同制作を経験しさらなる飛躍へ

京都精華大学に進学し、実際にプロの現場で活躍する先生方が教壇に立って教えてくれる授業は、本当にワクワクしました。実践で役立つためになる内容ばかりだったので、授業で得た知識をどのようにオリジナル作品に生かしていこうか?そういうことばかりを考えていました。
大学に入って初めてアニメーション制作にふれる同級生が多いなか、いち早くYouTubeで発表していた自作のアニメーションが話題になったこともあり、独学で培った知識や制作経験が人一倍あったぼくは、同級生の間でも一目置かれていたと感じていました。
そんな中で、大学2年生の時、同じ科の友人から「一緒にアニメーションを作らないか」と声をかけらました。監督、作画、背景、3DCG、撮影、音響などを5人で役割分担し、ぼくは監督としてチームのまとめ役を担当しました。共同制作も初めての経験なので「このチャンスで1人じゃできないことを思いっきりしてみよう」と張切りました。

石田祐康『京都精華大学アニメーション科 卒展ポスター』2012年

いい作品を生み出したいという一心で、同級生ばかりの友人たちに遠慮は捨て厳しい態度をみせたこともありました。しかし、共同制作によって、自分では思いつかないアイディアに出会えたり、1人では到達できなかった大掛かりな作品を作るすばらし経験ができました。
こうして出来あがったのが『フミコの告白』(2009年制作)です。 躍動感のあるアニメーションが大反響となり、「東京国際アニメフェア2010学生部門優秀作品賞」をはじめ、数々の賞を受賞させていただくことができました。
また、大学の卒業制作として発表した『rain town』(2011年制作)は、ストーリー性や描写力を備え「第14回文化庁メディア芸術祭の新人賞」など、数多くの賞を受賞させていただきました。

石田祐康『フミコの告白』自主制作アニメーションDVDジャケット 2009年

自分の中の引き出しを増やしていくこと

ぼくは、卒業後は研究生として在学することを決めていました。それは、大学の先生に『ゼロからは何も生まれないよ』と言われていた事や。大学時代はひたすら制作に没頭していて、大学生らしい経験ほとんどをしていなかった事など、経験不足を感じていました。だから社会に出る前に、いろんな体験をして、自分の引き出しを増やしたいと思いました。
研究生としての在学期間は1年間。その間は、映画を観たり、絵を描いたり、とことん気の向くままに過ごそうと決めていました。半年経った頃、アニメーターとして活躍する大学の講師から「アニメーションの制作会社で、映画の制作を手伝わないか」と声をかけられました。大変な作業があるだろうと想像し、さんざん迷いましたが、プロの現場を経験できるチャンスを逃したくないと思い、手伝うことにしました。

想像以上に、とにかくものすごい仕事量でした。次から次へといろいろな業務がふりかかってきてこなすのに必死でした。いい経験で自分自身の鍛錬になりました。
そんな中で、オリジナルアニメーションの企画や制作を行っている新進のアニメスタジオ「スタジオコロリド」の宇田代表から、ぼくの元に一通のメールが届きました。クリエイターを主体としたスタジオ運営を目指す同社の企業理念をお聞ききして、この場所で自分のオリジナル作品を制作してみようと思いました。

アニメーターへのキッップを手にし、さらに前進をつづける

「スタジオコロリド」へ入社した石田さんは、企画立案から脚本、監督までを担当。以後は、2013年公開のアニメーション「陽なたのアオシグレ」などを制作しました。

石田祐康『ICAF2011』ポスター原画(ICAF2011実行委員会)2011年

石田祐康「陽なたのアオシグレ」

石田祐康「陽なたのアオシグレ」

就職活動もしないまま、トントン拍子にアニメーターになる夢を叶えたように見える石田さんですが、その成功の理由を類い稀なる才能ということだけで片付けてしまうのは、あまりにも早計でしょう。

石田祐康「陽なたのアオシグレ」

スタジオコロリドにて制作をする石田氏

スタジオコロリドにて制作をする石田氏

スタジオコロリドにて制作をする石田氏

実は結構怠け者なんです(笑)。明確な目標がないと頑張れないタイプ。目標が決まりさえすれば、綿密に計画を立てて妥協はしないのですが。だから、自分のやる気を引き出すための突き詰めた理由や目標をいつも持つようにしています。

アニメーターにとって想像力は不可欠です。特に今の時代、CGや作画などデジタルで多くができてしまうからそれに頼りすぎてしまうと、イメージ力をどんどん欠如させてしまう危険性もあります。想像力の引き出しは、その人の記憶から喚起されるもの。いろいろな体験をして引き出しを増やすことが大事なんだと思います。

1988年愛知県生まれ。京都精華大学アニメーション学科卒業。高校時代からアニメーションの自主制作をはじめる。2009年制作のアニメーション作品『フミコの告白』が、東京国際アニメフェア2010学生部門優秀作品賞をはじめ、YouTube ビデオアワード2010 アニメーション部門賞、オタワ国際アニメーションフェスティバル学生部門特別賞、第14回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞などを受賞。また、2011年に大学の卒業制作として発表したアニメーション作品『rain town』も同文化庁メディア芸術祭の新人賞など多くの賞を受賞。現在は、「スタジオコロリド」所属のアニメーター。文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品「陽なたのアオシグレ」2013年公開。

スタジオコロリド http://colorido.co.jp/

「陽なたのアオシグレ」公開サイト http://www.shashinkan-aoshigure.com/

※アルテ2013、アルテウエブの記事を再編集して掲載しています。

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