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♈文芸・詩・小説のプロフェッショナルに聞く。

そっと心に届く言葉の数々は、今までの経験が生み出したもの。

芸術系の学校を卒業したと聞くと「形あるもの」をつくる仕事に就くイメージがあります。しかし、歌人、鈴掛 真さんが選んだ道は、短歌を詠み、小説を書くことでした。自分自身の考えや思い、情熱などを〝言葉〟へ託していくようになった背景には、どのような幼少時代があったのでしょうか。
人の気持ちを強く揺り動かすものがアートだとすれば、彼の〝言葉〟による活動は芸術そのものだといえるでしょう。歌人にして小説家である鈴掛 真さんの今までとこれからに迫ります。

 

変わらない赤信号のせいにして
踏み込めないでいるような恋
「好きと言えたらよかったのに。」
(大和出版刊)より

鈴掛 真(SUZUKAKE SHIN)歌人・小説家

ミュージシャンになる夢をずっと抱いていた少年時代。

ぼくは、子どもの頃から絵画や舞台、ファッションなどの芸術方面にはとても興味がありました。一番好きだったのは音楽。何といってもピアノを弾くことですね。今は言葉を紡ぐ仕事ですが、大学時代までは、ずっとミュージシャンを目指していたんですよ。
ピアノ教師だった母の影響もあり、玩具の代わりにピアノを弾いているうち、本気で夢中になっていきました。しかし、意外にも母は楽譜の読み方しか教えてくれず、基本的には独学で習得していきました。
家族がピアノ教師なのに、ピアノを教えてくれないって不思議ですよね。でも、合唱コンクールで伴奏者になった時には、上手く弾けるかをチェックしてくれたことを覚えています。
中学生時代に大きな影響を受けたアーティストは、フォーク・デュオ〝ゆず〟。当初、イラストレーターの326が作詞で参加していた〝19〟も気になる存在の一つでした。
好きになるきっかけは楽曲の素晴らしさだったのですが、今から振り返ると、彼らの歌詞の世界に影響を受けていたのかもしれません。言葉が気になっていたのは確かですね。
高校へ進学する頃にはオリジナルで作曲や作詞をはじめ、「絶対にプロのミュージシャンになる」という夢を抱いていました。

芸術系の大学で感じた衝撃。夢を諦めた時に見えたもの。

芸術系の大学を進路に選んだのは高校3年生になってから。さすがに進路を決めるには遅い時期であり、家族からは一般の4年制大学も勧められたのですが、決心は変わりませんでした。結局、芸術系の大学を選んだのは、自分自身を見つめ直した結果でした。
大好きな芸術を基礎から学んでみたいと思ったんです。ピアノは何とか弾けるけれど、所詮は独学で身につけたものだし、音楽も流行りのポップスしか知らない。自分の中にあるコンプレックスに近い気持ちを解消していきたかったんです。
ぼくが選んだのは当時新設校だった「名古屋学芸大学 メディア造形学部」でした。しかし、いざ入学してみると、自分と周囲との意識の差に大きなショックを受けました。
どこか漠然とした〝芸術を勉強したい〟という僕の抽象的な考えに対して〝ファッションデザイナーになりたい〟など、具体的な将来のビジョンを持ち、そこへ向かっている人ばかりだったんです。さすがに居場所を間違えたかなと思いました。
芸術系の大学を目指すスタートが遅かったこともあり、知識も技術も足りない。一時は退学も考たのですが、深刻な悩みを救ってくれたのも大学の環境と仲間の存在でした。
「名古屋学芸大学」はとても自由な雰囲気で、アクセサリーをつくったり、陶芸を体験したり、いろいろな挑戦ができたんですね。また、新設校で卒業生がいなかった分、自分たちで勉強方法を模索することで、同期の結束が強まっていった気がします。
芸大生時代は、多くの事柄を経験しながら、女性ヴォーカリストとユニットを組んで積極的に音楽活動にも取り組みました。
しかし、作詞や作曲は大好きだったのですが、音源をマスタリングしていくような複雑な作業が苦手なんですよ。本当に音楽が好きな人はすべての工程を夢中でやるのに、どこか冷めてしまっている自分を見つけてしまったんです。大学生活の中で少しずつ意識が変わっていきました。
折しも大学4年生になり、周囲は就職活動を終えようとしている時期。ユニットも解散し、プロのミュージシャンを目指すという夢から覚めた時、自分に残された才能は何か——。それこそが作詞などの経験で培った文章を書くこと、つまり〝言葉〟だったのです。

文章を書くことが好き、広告会社でコピーライターとして働いた3年間。

最終的に就職先に選んだのは広告会社でした。ほぼ就職活動が終わりつつある時期だったのですが、就活サイトに「コピーライター募集」の情報が残されていたことがある意味幸運だったと思います。音楽以外に何ができるかを考えた時、文章を書くことが好きだという強い思いに気づいたんです。
そして、3年間、広告会社におけるコピーライターの仕事というものをぼく自身の経験からいろいろ学ぶことになりました。
それは、ポスターのキャッチコピーなどに代表されるコピーワークなどにおいて、あくまでも商品の一要素でしかなく、広告とはチームワークで1を10にする仕事です。つまり、コピーライターとして個人の名前が取り上げられることは無いと言うことです。
ぼくの中で再び、コピーライターとしての経験を積み重ねた時に、個人の力で0から全てを生み出すアーティストになりたいという気持ちが徐々に強くなっていきました。

大切な友人のプレゼントが〝歌人 鈴掛 真〟の誕生へ。

ただ流されるだけのような日々に喝を入れたのは、大切な友人からの贈り物『短歌のキブン』という本でした。2003年に出版されたこの天野 慶の第一歌集に、いままでに感じたことがないような凄い衝撃を受けました。
ぽっかりと穴が空いていた心に、とても思いきりのいい言葉が飛び込んできたんです。僕も短歌を詠んでみたいと思うようになりました。今までも短歌の存在自体は知っていましたが、自ら詠んでみたいと感じたのはこれが初めてだったのです。

芸大で学んだ「ものをつくる精神の在り方」が原動力。

広告コピーライターから歌人としての作家業に転身を決意してまもなくの間、不安な気持ちでいっぱいでした。
音楽をやっている時には、ユニットだったこともあり若さゆえの根拠のない自信がありましたが、すべてを削ぎ落とし、単身飛び込む短歌の世界ではそれも通用しないという現実的な不安でした。
歌人として独立する際には、たった一人で大海原へ漕ぎ出すようなもの、自分自身の表現を突き詰めていかなければ通用しません。しかし、「ものをつくる精神の在り方」が、ひたすら自分を磨いていく原動力となりました。
「ものをつくる精神の在り方」を強く信じられたのは、名古屋学芸大学で学んだ個人の力を磨く4年間の経験があったからだと思います。社会に出てから学んだ、クライアントのためにコピーをつくる作業の時間を経て、芸大で学んだ自分自身のためのものづくりの時間を思いだせたこと、その両方を経験できたことで、歌人として活動する決意にもつながったのだと思っています。そして、さらなる言葉の持つ可能性に気づくことができたのです。

 

多様な経験がすべて自分の血となり、肉となり、鈴掛 真さんの短歌は東京音楽大学付属高等学校の2014年の入試問題に採用されるに至りました。そして、2015年からは雑誌連載もスタート。2月には新作小説『パンティーデスティネーション』を発表するなど、鈴掛 真さんの〝言葉〟によるアートは、ますます大きな広がりを見せ、多くの人々の心へと届けられていきます。

 

鈴掛 真(すずかけ しん) Profile

1986年生まれ。愛知県出身。東京都在住。短歌結社「短歌人」所属。名古屋学芸大学メディア造形学部卒。広告会社でコピーライターを3年間経験後、作家業に専念。著書に『好きと言えたらよかったのに。』(大和出版刊)。徳間書店『読楽』2014年3月号で小説家デビュー。幼少より絵画、舞台、音楽、ファッションなど、様々な芸術に触れ、大学在学中の2007年に短歌を始める。「短歌のスタンダード化」「ポップスとしての短歌」をセオリーに、Twitterにて新作・旧作の短歌を随時発表。ブログ『さえずり短歌』では短歌に加え、コラム、朗読音源「さえずり朗読」を公開。短歌を用いた空間展示『短歌インスタレーション』、朗読ライブ、講師として短歌講習会も随時開催中。2月に新作小説『パンティーデスティネーション』を発表。

お問い合わせ http://suzukakeshin.com/

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